帝国の時代58-奇才詩人ランボー登場

1871年、16歳の少年によってとんでもない詩がつくられた、詩人の名はアルテュール・ランボーそしてその詩は「酔いどれ船」である。ランボーは、革命思想の持主だったイザンバールから修辞学を学び、深く影響されて、家出をして普仏戦争に従軍すべくパリへ行こうとするが、途中で捕まって戻された。

その後に起きたパリ・コミューンにランボーは「パリの軍歌」を作って、政府軍による虐殺を非難し、また「盗まれた心」では、その敗北を謳うのである。10代の多感すぎる心は、世界で起きることを、自分の世界に置き換えて消化しようとする。その苦しみの中で、他所から自分を見る「見者」になると言うのである。

「酔いどれ船」では、彼は自分の経験を船長の冒険になぞらえる。まさに「見者」となった自分は詩のどこにも姿を見せない。海の冒険はさまざまなイメージに彩られ、読者はそのイメージによってランボーの独自の童話世界に引き込まれていく。そして美しい海は、難破の経験と変わり、もう航海に出られないと嘆く。

「氷河、銀色の太陽、真珠の波、灼熱した石灰色の空」ランボーの世界は現実とのつながりをもたない独自の世界である。彼は感覚の浪費によって既成概念を捨て去って自分の限界を超えるという。彼は自分の内的世界で、リアルを逆支配しようとして、後のシュルリアリズムの元祖となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。