1871年1月19日、パリ包囲最後の突撃が敢行された。それが失敗すると、政府に絶望した市民は、牢獄に入りブランキら過激派を救出した。そして27日にはついにドイツ軍によってパリ砲撃が行われ、特に下層民の住宅が狙われた。1月25日責任をとってトロシュ首相は辞任した。
後任となったジュール・ファーブルは、ヴェルサイユに行って休戦条約に調印、アルザス・ロレーヌの割譲に加えて50億フランの賠償が決められ、パリ占領は食い止めたが、戦争を継続できる周囲の砦は占領された。第二帝政の最期も結局パリが陥落したのは運命なのだろうか。
アルザス・ロレーヌ地方は、843年にカール大帝のフランク王国が3分割され長男ロタールの中部フランク王国となったが、兄弟戦争とロタールの死で870年にメルセン条約が結ばれ、東フランクに編入され、その後神聖ローマがこれを受け継いだ。ところが17世紀にルイ13世、14世がフランスに編入した。
こうした歴史からドイツとのつながりが強いこの地方をドイツ統一の証として、編入を要求する世論は強かった。ビスマルクの理由は、フランスにドイツとの対抗力を削ぐということだった。ところが、この編入によってかえって敵愾心は高まり、20世紀の欧州大戦の一因となっていく。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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