レオン・ガンベッタ率いる南仏軍も、当初は勝利したが、メッス要塞陥落後、形勢は芳しくない。北部に展開していた軍も散発的な戦いを繰り返すだけだった。パリでは11月4日に政府の信任投票と区長選挙が行われたが、労働者地区では急進派、革命派が相次いで区の役員に当選した。
11月末、司令官デュクロが「死者または勝利者となってしかパリに戻らない」と大見栄を切って戦闘に赴く。緒戦は勝利してパリ市民は喜びに沸いた。11月30日、シャンピニーの会戦が行われ、普軍にもかなりの損害を出したが、包囲突破には至らず敗北した。
12月になると食料価格は暴騰し、配給はわずかしかなかった。食料の隠匿が噂となり、市民の心は過激化していった。「パリ20区共和主義中央委員会」は「パリ20区共和主義代表団」と改名し、物資の全面徴収と無料の配給制を求め、政府の退陣を要求するようになった。
1871年1月17日、プロイセンとドイツ軍大本営があったヴェルサイユ宮殿鏡の間で、ドイツ皇帝の宣誓を行い、ここでドイツ統一と帝国が成立した。ちなみにヴェルサイユ宮殿は、ナポレオンやルイ・フィリップによって復活してきていた。それが政治的式典として使ったのがドイツというのは皮肉である。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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