近代アジアの動乱22-廃仏毀釈

明治政府になってもキリスト教禁教は改まらなかった。「五箇条の御誓文」と同時に出された「五榜の掲示」では、キリスト教禁令が入った。さらに迫害はキリスト教だけでなく仏教にも及ぶ。1868年4月5日「神仏分離令」が発令、70年には「大教宣布詔」によって新政府は神道を国教としようとした。

これを機に、廃仏毀釈の波が仏教に押し寄せた。徳川時代には寺請制度によって、寺は行政の一端となっていた。神職者達はここぞとばかりに仏教を排撃し、仏像などの破壊を行った。政府も「上地令」を出して、寺領を大幅に縮小した。現在の奈良大通も寺領が縮小されてできるようになった。

幕末に捕らえられたキリシタン達は、明治になっても拷問で改宗を迫られ処刑殉教した。しかしキリスト教禁教は、列強各国の大反発を呼んだ。中国が侵略を受けたのもキリスト教迫害が契機となっている。結局不平等条約改正のために西洋近代化を示すために1873年にようやくキリスト教禁教は撤回された。

廃仏毀釈も結局は頓挫した。日本では葬式は仏教が担っており、葬式ができなくなる。神仏習合と役割分担は、日本の伝統の中でできてきたものでいきなり廃棄するわけにはいかない。西洋の一神教オールセットも、犠牲や時間をかけてできあがったものである。神道国教化は挫折した。外圧で直すのもいかにも日本だが。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。