浦上の他にも外海、五島、天草などにも隠れキリシタンが居ることがわかったが、幕府時代はまだキリスト教は禁教であり、神父も秘密裡に援助していた。ところが1867年浦上村で、僧侶の立ち合いなく葬儀をしたことからキリシタンが発覚し、68人が捕縛された「浦上四番崩れ」である。
68名は、厳しい拷問を受けたそうで、その子孫から聞いた話では、天井の低い部屋で座らされて、首が曲がってしまった人も居るらしい。これは宗教弾圧ということで、普仏米葡の公使が抗議し、慶喜も仏公使ロッシュとの話し合いを大阪城で行った。しかしその後幕府が崩壊する。
明治政府も、五箇条の御誓文と共に五榜の掲示をつくり、ここでもキリシタン禁令を継続した。欧米の抗議にもかかわらず、結局彼らは西日本各地に分散して流罪となった。その後1870年に至るまで長崎各所の信徒は捕らえられて、拷問、流罪を受けたが江戸時代よりも厳しかった。
津和野には153名の信徒が送られたが、水責め火責め、箱詰めなどの拷問をかけられても棄教せず、37名が殉教した。その際箱詰めをされた信徒の前に聖母マリアが出現して励ましたという伝説があり、その乙女峠には、現在マリア聖堂がつくられ、福者認定運動がすすめられている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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