帝国の時代33-二重帝国のエリザベート

1867年オーストリア帝国は「オーストリア=ハンガリー帝国」と改組された。普墺戦争に敗れたオーストリアは、イタリアで領土を失い、ドイツに対する地位を喪失した。残る方向は東方だけだった。帝国内ではドイツ人は24%にすぎず、今後も力を維持するために伝統的なマジャール人の力を借りることにした。

この帝国は、墺皇帝と洪国王が内政は別で、財政、軍事、外交のみ統一したので「二重帝国」と呼ばれる。オーストリアはチェコやポーランドの一部が入り、ハンガリーにはバルカンのボスニアやクロアチアが入っていた。しかしスラブ人が多くなかなか安定とはいいがたい。

この成立に尽力したのは、当時ヨーロッパ1の美人といわれた有名な皇妃エリザベートである。彼女はバイエルンで自由きままに育ち、自由主義に共鳴する女性だった。そして窮屈な宮廷の鬱屈を美と各国の放浪旅行に過ごした。家庭教師がハンガリー人だったことから大のハンガリー贔屓となった。

シシイと呼ばれて愛されて皇妃は、私生活に引きこもり、詩作にふけり、ついには孤独に逃げ込む気ままな人生を過ごし、皇帝もそれを許していた。彼女は1898年にスイスのレマン湖畔で刺殺されるが、ハンガリー人作曲家とプラハ生まれの劇作家のタッグのミュージカルが大当たりをとって現代に蘇ったのも奇縁といえる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。