戦後をめぐる普墺仏のかけひきが始まった。ビスマルクはフランスの介入を「発作的になきじゃくる」ほどナーバスになり、戦争継続を求める軍部と皇帝ヴィルヘルム1世を説得した。オーストリアはナポレオン3世に介入を促したが、皇帝は体調不良で呆然と時をすごし、介入の機会を逃した。
ビスマルクは、オーストリア本国は割譲を控えたが、ヴェネト地方はイタリアに、シュレスウィヒホルシュタインはもちろん、ハノーファー、ヘッセン、ナッサウ、フランクフルトの併合を認めさせた。これでプロイセンは東西が接合され、商業金融の中心地フランクフルトを獲得した。
プロイセンはプロイセンを盟主として北ドイツ連邦を結成することになった。南ドイツ連邦も結成が認められたが、イニシアチブを取る国がないため流産してしまう。いずれにせよ、オーストリアの権威は、ドイツはおろかヨーロッパで失墜し、プロイセンが急速にのしあがった。
なんとプロイセン国内であれほど反発があったビスマルクだが、この大勝で世論は一変し、総選挙で自由主義派が敗退し、保守派が勝利したから戦争の威力はすさまじい。ビスマルクは政府が予算を執行し、議会が承認する事後承諾法を成立させた。ビスマルクがプロイセンの主導者となった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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