帝国の時代31-普墺戦争勃発

プロイセンとオーストリア共同で分捕ったシュレスウィヒホルシュタインは、今度はその分け前で揉めることになった、まるでどこかのギャングドラマそのものである。プロイセン軍部は開戦を主張したが、ビスマルクは、特にフランスの動向を心配し、ナポレオン3世と秘密会談を持つ。

なんと仏皇帝は、ドイツに関心はないと言う、仏帝は普墺が開戦したら長引くと考え、両者が衰弱したところで講和の主導権を取ろうと考えていた。1866年6月1日、オーストリアは、この問題を自分が主導するドイツ連邦議会にかけることを提案、そして6月7日には普軍が境界を越えてホルシュタインに攻め込んだ。

ここでもう一人の主役が出て来る、参謀本部長モルトケである。作戦ヲタのモルトケは、優位に立つ鉄道網を利用して、鉄道網を使って兵を分散して進撃させ、決戦場で全軍集結させるという「分散進撃集中攻撃」という画期的な作戦を展開、電撃戦でザクセンを敗北させた。

1866年7月3日に行われたケーニヒグレーツの戦いでは、24万人の墺軍に対し、午前中は普軍12万人で劣勢だったが、午後になるとさらに12万人の第2軍が到着し、プロイセンが大勝した。実はイタリアも参戦してこの戦線では墺優勢で、帰ってくるまでに勝負をつけたかったビスマルクは講和を提案する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。