ヴァイマールの宮廷楽団長となったフランツ・リストは、カロリーネと安定した生活を送り、ハンガリー狂騒曲などの名曲を作曲した。しかし正式な夫婦でない2人への風当たりも強く、カロリーネはロシアの夫と離婚の手続きをしようと決めた。夫はカロリーネの相続した遺産の分与を条件に離婚にOKした。
今度はカトリックの結婚無効の申請である。ところが1853年、リストのパトロンだった大公夫妻が死去し、新大公が就任した。この大公は、プライドの塊のようなリストを嫌った、まあ無理はない。その横やりで、一旦降りた結婚無効が取り消されてしまう。リストは59年宮廷楽団長を辞任した。
二人はローマに住むことになり、ここでリストは信仰に目覚め、何と最下級だが聖職者の資格を取った。黒衣を着た彼は「リスト神父」とか「カソリックを着たメフィストフェレス」ともからかわれた。しかしリストは、独自の視点からカトリック的タイトルの音楽をつくった。
ヴァイマール時代からリストはワグナーと交流があり、ワグナーはリストの官能的でダイナミックな音楽に影響を受けた。しかしワグナーの影響を受けたのは、リストの娘コジマである。彼女は夫がある身で、ワグナーに恋し、65年には子供まで誕生した。彼女はワグナー音楽のプロモーターとなる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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