1861年3月、ロシア皇帝アレクサンドル2世によって農奴解放令が発布された。皇帝はクリミア戦争敗北で、西欧列強との格差を思い知った、そしてパリ条約から帰るやいなや「農民と領主の敵対感情を決着せねばならない」と演説した。だが保守的貴族の抵抗でここまで長引いた。
この解放令は、領主から有償で土地を買い取れるというもので、普通の農民が買い取れるものではなかった。そういう農民には政府が金を貸すのだが、これは年6%の利子をつけて49年間で返済するという。さらにこの中には領主への貢租も入っていた。領主は金利生活者になって今まで以上の金持ちになった。
発布は村々の教会の司祭によって読み上げられたが、農民達は何の免除もない内容に怒り、最後まで読み上げられないほどだったという。この怒りは結局大規模な反乱を呼んで鎮圧にかなりの犠牲を出した。そして農民は小作人として結局負債に縛り付けられるだけだった。
農奴解放はともかくも、地方の行政を領主から政府に渡すことになったので、国を県と郡に分け、地方行政組織としてゼムストヴォがつくられた。また司法権も国家に委ねられたため、司法権を確立し、大学その他の教育機関も整備された。こうした改革は60年代後半に実を結んでくる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント