英雄サラディン9悲劇の癩王ボードワン4世

ボードワン4世は、前王アモーリー1世の息子で、1161年生まれ。王国の期待を担った最終兵器。才能豊かな美少年であり、運動神経にも優れ早くから馬にも乗れた。ラテン文学を愛し、人からの恩恵を忘れず、文武両道、仁徳のあるすばらしい少年だったそうだ。ところがあるとき、少年同士ひっかきっこの遊びをしていると、彼は全く感じなかった。そのときからハンセン氏病、いわゆる癩病に患されていることがわかった。

1174年、父の死で13歳で王位に着いたとき、彼が病に患されていることは本人を含め誰もが知っていた。彼はまず、家庭教師であったギョーム・ド・ティールを大法官にして行政を担当させた。そして母親の影響を廃して親政を開始した。当時はサラディンもヌールッディーンの崩御を受け継ぎ、シリアの統治を始めたばかりであり、手がまわらない。

ボードワンはトリポリ伯レーモン3世を摂政に迎え、イスラムの混乱に乗じてホムスを攻撃し、サラディンの手を縛る。そしてアレッポの反サラディン勢力と連携してサラディンのアレッポ包囲を打ち破った。サラディンは、エジプト軍をシリアに引き入れて、ようやく秩序を回復、1176年にヌールッディーンの未亡人と形式的な結婚をして、彼の後継者であることを示した。

しかしモスルには、なお反抗勢力があり、彼はそれに長期を費やすこととなる。サラディンは、この結婚でシリアの秩序を一応安定させたとみて、エジプトの本拠へ戻り、内政を本格的に始める。あれよあれよといううちにサラディンの領土は広がり、統治改革はこれからであった。

下は主にフランスでいろいろ描かれたボードワン4世大人気

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。