英雄サラディン10-アイユーブ朝建設

ボードワン4世の挑発にのらずに、サラディンはエジプトの館に戻り、エジプトの発展の改革を行った。サラディンが第3回十字軍にも耐え得たのは、このエジプト経済の発展によるところが大きい。サラディンは、エジプトの灌漑事業にとりくみ、エジプト農業を振興させた。ここで収穫されたさとうきびは、砂糖に加工されて輸出、西洋にもお菓子が出回ることとなる。

サラディンは、全国的な検地を実施し、それに基づき税を徴収し、ファーティマ朝時代のよけいな税を省いてしまった。この税徴収や財務行政にはコプト教徒が活躍した。コプト教徒は現在もエジプト人口の一割を占めている。さらに、商業の発展を奨励し、カイロには小さな市から大きな大商館が立ち並び、繁栄をもたらすこととなった。

公共事業では、十字軍からの防衛を担う19.5㎞の長大な市壁を建設、その終点として「山の城塞を建設した。カイロにも多くのモスクや、公共建築物ができた。そしてファーティマ朝のシーア派図書館を閉鎖し、新たなファーディリーヤ学院を建設し、シーア派の宗教書以外の10万冊の本はこちらに移したとのことだ、これらの事業はサラディン一代では完成しなかった。

しかし、ボードワン4世は短期決戦を挑まねばならない。1177年10月末にフランスからの援軍を得たボードワンは、シリア北部に攻め込み、同時にビザンチンに海からカイロを攻撃させた。サラディンは大軍を率いて出撃したが、ボードワンは各地へ陽動をさせて、モンジザールの戦いででサラディン本隊のみを狙い撃った。この奇襲は成功し、サラディンは危うく難を逃れてカイロに逃げ帰った。

下はサラディンがカイロにつくった巨大な壁

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。