南部は連邦を離脱したが戦争になるなどまるで考えてなかったようだ。だってアメリカの政治単位は州であり、便宜的に一緒になってるだけで、イヤになれば出て行っていいはずだ。アメリカが建国したのは大国イギリスと戦うためで、違いは当初から潜在していた。
サウスカロライナ州チャールトンのサムター要塞を守るアンダーソン少佐は、南部人ながら合衆国に忠誠を誓い、要塞引き渡しに応じなかった。そして大統領リンカーンはこれを援助すべく、その補給艦隊を向かわせた。1861年4月11日、少佐は降伏条件を示したが、南軍は応じず砲撃し、4月14日降伏した。
この事件は北部に火をつけ「リメンバーフォートサムナー!」の声が木霊する。当時アメリカの知性の象徴とされた哲学者エマソンまでも「たまには火薬の匂いもいいものだ」などと言ってしまう。南部知識人は「北部は、狂信的な牧師に扇動されている」と言っていた。
4月15日、リンカーン大統領は7万5千人の兵を募集した。当時の合衆国陸軍は1万6千人程度で、まるで戦さができる数ではない。国境紛争のようなもので、すぐ鎮圧できるとたかをくくっていた。ところがそれを機に、ヴァージニア州など4州が合衆国を離脱、俄然内戦の様相が濃くなった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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