1858年8月、カトリック迫害を名目にフランススペイン連合軍がベトナムに侵攻し、サイゴンを占領、その後62年サイゴン条約でのコーシチナ東部がフランスに割譲された。当時の阮朝は、仏宣教師の支援を受けて建国したため、フランスと友好関係を結び、キリスト教も自由だった。
ところが明命帝以降、儒教の圧力でキリスト教を迫害し、多くの殉教者が出た。そして国も排外主義となっていき、その影響で1850年代に迫害を強化した。ナポレオン3世は、この迫害をやめさせよと、艦隊をさしむけたが、その提督には全権委任した。すると現場で戦争を起こしたのだ。
結果オーライでナポレオン3世はこの結果を追認し、フランスは東南アジアでの足掛かりを得た。フランスはそこから中国の四川省へメコン川をさかのぼるルートを模索するが、その途上にはカンボジア王国が存在していた。ここまで来ると功名心にあおられた現場は止まらず、64年にはカンボジアを保護国とする。
さらにカンボジアとベトナム植民地をつなげるため、コーシチナ西部の割譲を迫るが拒否されると、勝手に進攻してコーシチナからカンボジアまでを植民地にしてしまった。そして19世紀末にはインドシナ半島全域がフランス植民地になる。なお殉教者達はカトリックの聖人となっている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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