近代アジアの動乱13-桜田門外の変

大老井伊直弼は、幕府権威維持のために「安政の大獄」などの強権政治を行ったが、1860年3月24日「桜田門外の変」で水戸浪士に暗殺され、かえって権威は低下した。そこで穏健派は、公武合体の挙国一致で乗り切ろうと考える。ところがその引き換えとして、孝明天皇と63年5月5日までに攘夷を行うことを約束した。

日本の開国は不平等とはいえ、アヘンを売りつけられることもなかった。しかしこの過程で、金銀の兌換比率を国際基準に合わせることが大きな問題となる。兌換比率はアメリカに押し切られ、通貨の輸出も認められたため、日本の比率と国際比率との差で金が輸出され、国内ではインフレが起こる。

天皇の権威復活は、京都を中心に、今まで権力から遠ざけられてきた外様雄藩の活路をつくった。インフレによる生活困窮は、江戸で打ちこわしを呼び、中央権力を低下させた。これらのことは開国と幕府の責任と解釈され、攘夷運動が下級武士の間で広がっていく。

彼らは、攘夷を実力で行わせるべく、外人居留地近辺で「異人切り」のテロを行う。61年はイギリス公使館を襲撃する東禅寺事件が起きた。そして翌年イギリス人4人が騎馬で、薩摩藩の大名行列と遭遇し、殺傷させられるという「生麦事件」が起きた。これは個人の問題で済まされなくなる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。