近代アジアの動乱12-英仏連合の北京略奪

中国では1860年になると、1万7千人英仏連合軍が大艦隊で天津を占領。しかし交渉は決裂し、使節11人が殺害されると連合軍は進軍を開始した。9月には八里橋の戦いに最新鋭のアームストロング砲を投入して勝利。そのまま北京に向かい、皇帝咸豊は北京を脱出した。

北京では、連合軍兵士は略奪を行い、皇帝の離宮であった円明園では、金目のものを仏軍兵士が略奪した後、英軍が「使節殺害の復讐」として焼き払い、廃墟とした。エルギン伯は「今や廃墟。見た限り、略奪、粉砕が半分もされなかった部屋はひとつもない」と書いた。

この結果結ばれた北京条約によって、清朝はイギリスに九竜半島を割譲、また調停にあたったロシアにも外蒙古を割譲した。同時に、中国国民の海外渡航を認めた。何のこたない、中国人が苦汗として、イギリス植民地に実質上奴隷として使役される。この条約は中国が本格的植民地となる端緒となった。

翌61年皇帝咸豊が崩御すると辛酉政変が起こり、中国三大悪女とされる西太后の子が同治帝として6歳で即位した。清朝を意のままにできるようになった欧米列強は、清朝を支持するようになり、江南の太平天国を討伐するための軍を指導するようになっていく。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。