英雄サラディン6-エジプトの宰相に就任

勝利の勢いをかってシールクーフはアレクサンドリア入城。しかしエジプト軍が加勢して街を包囲。攻撃大好きな伯父シールクーフは勝手に脱出し、サラディンは3カ月も城を守り抜き、武名を大いに高め、講和のときはエルサレム王アモーリーに謁見した。

この戦いは双方撤退で講和したが、エルサレムは救出の礼と多額の金を要請し、エジプトではシリア贔屓が多くなった。アモーリーは出陣、ここに至ってファーティマ朝カリフは、ヌールッディーンに援助を要請、またサラディン一族が遠征した。サラディンは「死ににいくような気で」行ったらしい。

シリア軍の到来で、エルサレム軍は引き返し、1169年サラディンらはカイロ入城、宰相シャワールを処刑して、その後には伯父シールクーフが就いた。しかし彼は美食しすぎで2カ月後にあっけなく落命。その次にサラディンが就いた。30代で若く、野望もなさそうだ、ということのようだ。

ヌールッディーンはサラディンが宰相になったときき、「なぜだろうか?」と不審に思ったようだ。しかしここは表に出さず、シーア派の王朝をスンニ派に換えるよう命令した。サラディンは、政権をスンニ派に替えたが、カリフの処置に悩む。そんなときにカリフが重病になった。

下はカイロに入城するサラディン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。