英雄サラディン5-エルサレム軍撃破す

なんのこたないエジプトのシャワールにまんまと嵌められただけのシールクーフは、さっそく第2次エジプト遠征を上奏し、ヌールッディーンも自分の精鋭を与えて援助する。シャワールは本格的にエルサレムと同盟を組もうとした。しかしエルサレム王アモーリーは、シャワールは信用できないので、カイロまで押し掛けた。

当時のエジプトは、バグダードが混乱に陥ってから、貿易ルートが紅海のアデン(イエメン)から、ナイル川を通り、アレクサンドリアで、イタリアへ輸出するように変わり、繁栄を極めていた。物品は胡椒、香料、陶器等である。ということで、栄華を見せつけるため、王宮では、鯛やヒラメの舞い踊りじゃないが、ともかく華麗なパーティをやった。

ところが、アモーリーは意に介せず、直接カリフ自身が誓えと要求、絹の手袋も脱ぎ、素手で誓え、と言った。王宮は騒然としたが、シャワールは「なんせ田舎侍なもんで」ととりなし、との通りとなり、ともかく異教徒同盟がひとまず成立した。

シールクーフは、勇んで戦さに出発。依然として気のすすまないサラディンも主命により同行した。シールクーフはわざと迂回して、疲れきった様を見せ、エルサレム軍をおびき寄せ、1167年3月、アル=バーバイン近郊で戦闘、サラディン率いる中央軍が退却したように見せかけ、深入りするところを、左右両翼で包み込んでせん滅した。アモーリーは辛くも、カイロに逃れた。

下はギュスターブ・ドレ作「エジプト遠征」

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。