英雄サラディン4-伯父と共にエジプト遠征

1163年、ヌールッディーンはシールクーフにエジプトへの出撃を命じ、サラディンにも同行を命じた。サラディンはあまり気乗りがしなかったようだと伝えられている。当時エジプトの宰相だったシャワールが、地位を追われ、シリアに援助を要請に亡命してきた。コイツはウサン臭さ満点の男で、サラディンがあまりいい予感がしなかったのもうなずける。

しかし伯父シールクーフは名を「信仰のライオン」の通り、勇猛果敢、野心満々の男であり、結果的に伯父の遠征に同行したことが、その後の運命を決定づけることになる。ヌールッディーンも、シールクーフの野心をしっているからこそ、自分の腹心であったサラディンを付けようと思ったのかもしれない。ともかくシールクーフは、サラディンの意見を聞かずには何もしなかったとのことだ。

1164年5月、シリア軍によってシャワールは宰相に復帰、しかしあっさり掌を返して、シリア軍に出て行けと言った。シールクーフが拒否すると、エルサレム軍を呼んだ、まあこういう男だよ。シリア軍はビルバイスまで撤退して、エルサレム軍が包囲した。

ヌールッディーンは、エルサレム軍を撤退させるために、アンティオキアのハリーン城を攻め、大勝利。アンティオキア公国ボエモン3世を捕虜にした。ボエモン3世は、エルサレム王が出陣しているときの、王代行となっている。この事態で、エルサレム軍は包囲を解かざるを得ず、双方撤退で合意した。なんのこたない、得をしたのはシャワールだけである。

下はハリーンの戦いに勝利したヌールッディーン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。