英雄サラディン3-クルド人サラディン登場

サラディンは1137年か8年に現イラクのティクリートで誕生した。本名はユースフ、これはヨセフのこと。サラディンは、彼の尊称で正式にはサラーフッディーン(信仰の救い)。そして彼は、現在国のない最大の民族といわれるクルド人。領域はイラン、イラク、トルコの3国の山岳地帯に居住する遊牧民族。固有の言語や文化をもっている。

クルド人はイスラム化されたが、アッバース朝の分裂の中で950年ごろから独立王朝を築いた。しかし1085年にマルワーン朝が、セルジュークに滅ぼされてから独立国家は持てていない。イスラムも他の大宗教と同様に、民族、人種の壁を越えるというわけだが、実際それはなかなか難しい。しかしサラディンの一族のように、活躍する者も居たのである。

父アイユーブは、ザンギーより、現レバノンのバールベックという豊かな町を任されて、サラディンはそこで育った。そしてこの町がダマスカスに取られてからは、ダマスカスに移った。1152年、14歳のとき、叔父シールクーフに呼ばれてアレッポに赴き、ヌールッディーンと歴史的対面を果たし、叔父と共に彼に仕え、その後ダマスカスに行った。

ダマスカスでは、サラディンは若くして軍事長官等に抜擢されたが、官房長官とそりが悪く辞任。しかしヌールッディーンはこの官房長官を引き回しにしたというから、非常に高く買われていたようだ。彼らはあのラルフローレンのシャツに書かれている「ポロ」という競技を楽しんだようだ。これでは誰にもひけをとらなかったと書かれている。

下はギュスターブ・ドレのサラディン

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。