1860年3月「ベルリンのこだま」において音楽上の聖戦の宣戦布告があった。つまり「未来の音楽」を標榜していたリストやワーグナーなど文学や哲学、演劇などを総合する「標題音楽派(新ドイツ派)」に対する音楽のみを追求する「純粋音楽派(新古典派)」の宣戦布告だった。
この論争を引き起こしたのは当時力のあったエドゥワルド・ハンスリックという音楽評論家で、彼は1854年に「音楽美論」を書いて、音楽は感情の高揚や文学性などを目的とするべきではなく、音楽の形式そのものが目的であり、美しさである、という音楽理論を書いた。
そして、そのために評価したのがブラームスであり、1860年の署名にはブラームスが筆頭で載っている。そしてやり玉にあがったのがリストで、彼は遺言状を書いてしまうほど動揺した。クララ・シューマンは、リストへの対抗心もあってブラームス派についた、実際華麗な音楽は性に合わなかった。
しかし亡き夫シューマンまでもがこの論争に引き込まれ、標題音楽派にされてしまったのは彼女にとって心外だったろう。ともかくもブラームスはハンスリックにヨイショされて、ますます純粋音楽を追求する。彼は交響曲の着想をこの頃得ていたが、それが現実化するのはなんと1876年である。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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