帝国の時代15-仏伊プロンビエールの密約

1858年7月、ナポレオン3世はリューマチ治療のためにプロンビエールに赴いたが、ここで待っていたのが、イタリア首相のカブールである。オルシーニ事件以来のイタリア独立支持の動きで、おっとり刀でおしかけ、二人はタイマンで開戦から終戦後の取り分まで秘密に合意したのである。

この合意に基づき、サルディーニャ国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世は、反オーストリア演説を行い、カブールは英雄ガリヴァルディに、義勇軍の招集を依頼した。フランスは、各国にイタリア問題での中立を要請したが、イギリス、プロイセンは、ナポレオン戦争の二の舞と警戒してこの野望に反対した。

フランスでは世論はおろか皇后までイタリア介入に反対し、ナポレオン3世も躊躇することになる。しかしもう矢は放たれている。義勇軍は公然とオーストリア領土付近を行軍し、59年4月23日、オーストリアは国境付近での挑発をやめるよう最後通牒を行い、まんまと4月29日に宣戦布告してしまう。

実はフランス軍はまるで準備できていなかった。しかしオーストリア軍も、フランスの援軍が南から来ると思って、そちらに主力をまわして、サルディーニャ軍に時を稼がれてしまった。そしてフランス軍は皇帝自ら総指揮官となり、世界初の軍用列車の公式使用で、ピエモンテに集結した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。