1856年フローベールの小説「ボヴァリー夫人」がパリ評論に掲載された。この小説は不倫がテーマだが、しかし夫人が主人公という点でかつてない小説だった。当然風紀紊乱で起訴されたが、無罪になるや裁判効果もあって、翌年出版された完全版はたちまちベストセラーになった。
この小説は、読書をして理想を胸に抱いた女性が、平凡な結婚に幻滅して、不倫をするがそのために借金を重ねて終には自殺に追い込まれる。今日の日本でもSNSでは不倫が出されている。そこまではいかなくとも、韓流などにハマるご夫人方は普通のことである。
この小説の影響で、物語の影響で現実に戻れないことを表す「ボヴァリズム」という言葉が生まれた、今日では「ヲタ」と呼ばれるだろう。しかし実は作者フローベールは「ボヴァリー夫人は私だ」と言っている。啓蒙主義の影響でロマン派の理想に憧れ、しかし現実の近代資本主義に幻滅したインテリの姿である。
フローベールは生々しい現実を描いて「近代小説の父」と言われる。しかし恋愛の心理描写は現実を越えて美しく描き、すぐ後の象徴主義につながっていく。19世紀後半の芸術家は、啓蒙主義の実現した近代資本主義の現実の中で、いかに理想を描いていくのかに苦しむことになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント