ロマン派の時代45-ブラームスピアノ協初演

ロベルト・シューマンが亡くなったとき、妻クララは、「神よ、どうかあの人が居なくても生きてゆける力を私にお与えください」と日記に書いた。クララは夫の死を忘れようとするかのように、ドイツ国内からイギリスへも演奏旅行を行った。一方ブラームスは、リッペ=デトモルト侯国宮廷音楽家となった。

ブラームスは、ここでシーボルトの親戚のアガーテ・フォン・ジーボルトと親密になる。そして歌曲を作曲しながら、初の大作ピアノ協奏曲第1番の作曲にかかっていた。この曲は初めピアノソナタとして発案し、その後交響曲にしようと試みたが、また行き詰まり、ピアノ協奏曲にしようとした。

ブラームスとクララはベルリンで再会した。そしてこの協奏曲を初演することにした。クララはこの楽譜にも助言を与えていた。そして1858年3月、クララのピアノとブラームスの指揮で、ハノーファーで、この協奏曲は初演された。オーケストラとピアノを融合させようという意図があり、またブラームスの青春の激情が漲っている。

クララは、ブラームスの恋愛のことでも話し合ったようだ。そして翌59年、ブラームスは「結婚に踏み切れない」という理由で婚約を破棄した。彼はその後一生独身を貫くことになる。クララはアガーテに同情してブラームスに手紙を書いた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。