1854年2月13日、日本に黒船が再びやってきた。将軍家慶は崩御し、家定が継いでいたが、病弱で政務が困難だった。黒船は1か月以上留まり、日米和親条約が結ばれ、下田と函館を開港して補給はするが、貿易はしないということで合意した。幕府は祖法である鎖国を破ったという意識がなく、天皇の許可も要らなかった。
マルクスは日本の封建制を評価しているが、徳川家は天皇から武家政治を委託されているだけで、大領主にすぎない。ヨーロッパでもそうだったが、他国や他大陸への進出が、国内統一の動機となった。日本は朝鮮侵攻の失敗やキリスト教の恐怖が鎖国を生み、それ以上の国家統一の動機に乏しくなった。
しかしアメリカは、1857年に総領事ハリスが、家定と会見して大統領の親書を渡して、通商を迫った。ハリスは、中国のアロー号事件がかたづけば、英仏連合艦隊が日本に攻めてきて、武力通商を迫る、と脅した。開明的な幕閣官僚は、中国のように侵略される前に条約を結ぶことに賛成だった。
しかし孝明天皇は、他国が日本に入ってくるのには反対で、勅許が下りない。58年に大老に就任した井伊直弼は、勅許が出るまでは条約を引き延ばすよう言ったが「やむを得なければ是非に及ばず」と言ったため、現場交渉者の下田奉行と目付は、勅許を得る前に日米修好通商条約に調印してしまった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント