近代アジアの動乱8-アロー号戦争勃発

太平天国で揺れる清朝に、1856年10月8日「アロー号事件」が起きた。英国船を名乗る香港船アロー号に、清朝官憲が臨検して船員を海賊容疑で逮捕した。ところが英国領事は臨検は不当であると抗議、海軍は広州付近の砲台を占拠した。内憂外患というのはこのことだ。

それ以前にも、広州では、外国人排斥が起き、外国人が暴行される事件が多発していた。イギリスはその取締りや、新たに貿易港を開くように要望したが、らちあかず、またもや武力に訴えるしかないと思っていたのである。パートマン英首相は一旦議会に否決されると、解散して選挙に勝利して開戦を決めた。

イギリスは仏皇帝ナポレオン3世にも出兵を呼び掛け、これ幸いとばかりにフランスも戦争に参加する。英仏連合軍は広州を制圧し、さらに北上して天津も制圧してここで58年6月に天津条約を結び、10港の開港、治外法権、賠償金、キリスト教の布教、さらにはアヘンの合法化という天津条約を結んだ。

ここで安心した連合軍は引き上げるが、中国の反西洋の気運はさらに高まった。各地で太平天国のような反乱も起きていく。59年6月17日、天津条約の批准のため、天津に向かう連合艦隊は、進軍を阻まれ、清朝からの砲撃を受けた。軍艦12隻、死傷者500人という大被害を受け、上海に撤退することになった。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。