クリミア戦争に対して、ドイツ連邦議会は大騒ぎとなった。連邦議長のオーストリアが、連邦で参戦決議をあげるよう要請したからである。そして連邦諸邦に多数派工作を行った。一方の雄プロイセンにも、欧州のイニシアチブを取るべく、参戦しようという一派がいた。
これに対して猛然と反対したのが、外交官として連邦議会へ派遣されていたオットー・ビスマルクである。彼は、普墺はどちらか一方が屈するしかない関係であると考え、反墺の姿勢から、クリミア戦争に中立の立場を取り、結局プロイセンもドイツ連邦もこの戦争に関係しなかった。
パリ講和会議で、ビスマルクは、ナポレオン3世に関心を抱いてパリに足を運び、周囲に疑念を抱かせた。プロイセンにとってナポレオンは憎むべき敵である。しかし現実主義者のビスマルクはナポレオン3世の巧みな政治操縦法に関心があった。後に彼はこの手法を取って先達を負かすのである。
クリミア戦争以後の1857年、実はプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の精神錯乱が酷くなり、翌58年弟が摂政となる、その人物こそ後のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世である。摂政は立憲宣誓を行って、自由主義的保守派の内閣をつくる。この時代は「新時代」と呼ばれる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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