帝国の時代12-女王と皇帝のクリミア講和

1855年8月18日、パリ万博にヴィクトリア女王一家が訪仏した。そして一家は何と廃兵院に眠るナポレオンの墓に参拝した。女王は王子に「偉大なナポレオンの前に跪きなさい」とまで言った、そしてそのときイギリス国歌の「神よ女王を救けたまえ」が演奏された。変われば変わるものである。

この融和気分のもとに、ナポレオン3世はクリミア戦争の終結に動く。皇帝はロシアと秘密交渉をして1856年3月30日にパリで講和会議が行われ、講和条約が締結された。講和会議には欧州主要各国が参加し、ウィーン会議の反対のようなことになった。ウィーン会議で追放されたナポレオンは欧州の仲裁者になったのだ。

その内容は、黒海バルト海の非武装化が決められ、ウィーン会議のように、領土は戦争前に戻される。ロシアの南下は食い止められたのである。またドナウ沿岸諸国が自治領化を認め、ワラキアとモルダヴィアが統一してルーマニア公国が承認された。ロシアもオーストリアも損をした。

パリ条約の結果、新欧州秩序が作られた。ロシアとオーストリアは決裂して、ロシアの援助が得られないオーストリアは、域内の妥協が図られる。そしてロシアはプロイセンに接近していく。またプロイセンはドイツ連盟の盟主としての地位を得て、ドイツ統一の足掛かりを得た。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。