帝国の時代9-ウィーン都市改造

オーストリア帝国では革命鎮圧の後、フランツヨーゼフ1世が憲法を廃止し、「新絶対主義」と言われる、皇帝中心政治を行った。ハンガリーも含めた領邦の自治は否定され、中央集権が強化された。一方、教育や工業化はすすめ、上からの近代化が行われた。農奴が解放され、貴族は地主となり、城壁が撤去された。

皇帝は、上からの近代化の象徴として、ナポレオン3世に感化され、ウィーン都市改造を決意する。兵器の強力化によって城壁は無意味となり、かえって都市市民の分断や物流の阻害が起きていた。城壁の撤去はウィーンの一体化の象徴であり、跡にはリングシュトラーセという環状道路ができた。

クリミア戦争では、ロシアのヴァルカン進出を警戒して、モルドヴァ、ワラキアに進軍した。ところがこの両国は、戦争後統一してルーマニア公国となって独立したため、領有のもくろみがはずれてしまう。ロシアの関係は悪化し、英仏との関係も好転せず、オーストリアは外交的に孤立した。

そしてイタリアでは、サルディーニャ王国が主導権を握り、独立と統一の動きが高まる。これを裏で支えていたのはナポレオン3世である。皇帝は、バイエルン公女と結婚して、北イタリアの墺領への御幸を行った。しかしサルディーニャは動きをやめず、やがて衝突に至る。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。