ザンギーは税金をかけて、強大な軍をつくり、優秀な軍事顧問団をつくり、厳しい軍規をしいた。他のイスラム領主のように、ぜいたくにおぼれず、戦場を飛び回り、わらの上で眠ったと伝えられる。アレッポ領主の未亡人を妻とし、自分の父の遺骸をアレッポに埋めて民心をつかんだ。
シリアの他方の中心ダマスカスは、十字軍の攻撃をかろうじて防いでいたが、太守ブーリと宰相マズザガーニの間で権力争いをやっていた。1129年ブーリは朝議のあと、ダマスカスを十字軍に渡す陰謀を企てたとして宰相を刺殺。これに暗殺教団も加わったとして街に粛清の嵐が吹いた。
ブーリは権力を掌握し、同年グータの戦いで十字軍に大勝利を収めた。しかし十字軍よりもダマスカス支配を狙うザンギーは、1130年ダマスカス領地であったハマーを騙し打ちで奪取する。
そして1131年、エルサレム王国ではボードワン2世が崩御した。彼には4人の娘が居たが、息子が居なかったため、長女メリゼンダが相続し、フランス王の推薦でアンジュー伯フルクと結婚し、共同統治が決まった。しかしフルクはよそ者で、団結はうまくとれず、夫婦仲も良くなく、メリゼンダには愛人の噂がつきまとった。
下はボードワン2世
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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