1132年、ザンギーの味方セルジュクのスルタンマフムード2世が亡くなり、イスラムの権力闘争がもちあがった。ザンギーはバグダードへ向かうが、このときのアッバース朝カリフ、アルムスタルシドが、うまく勢力をまとめ、ティクリートでザンギーを破った。ザンギーは捕えかけたが、このとき彼を救ったのは誰あろうサラディンの父アイユーブだった。
1135年、ザンギーは、ダマスカスのブーリの息子から市民の反乱の救援を訴え、ダマスカスに向かった。ところが市民に選ばれた将ムイーヌッルディーン・ウナルがザンギーから町を守った。ウナルは第2回十字軍を打ち破る英雄となる。
1137年、ザンギーはほこ先を変え、トリポリ伯国の要塞バーリンを包囲し、伝書鳩を使って連絡をとって陥落、その後伝書鳩便が各都市に整備される。ザンギーの脅威に、エルサレムはダマスカスと異教同盟を組んだ。その交渉をしたウマルは、西洋の「頭に悪魔が居る」と切開する野蛮な医術を記している。
ザンギーは、ダマスカスを一旦おき、1144年にエデッサ伯ジョスラン2世が十分な守備兵を置かず出征したとこを知り、急行してエデッサを包囲、難攻不落の城壁を、油と火薬を使って爆破し、ついにエデッサを陥落させた。この陥落はイスラムに歓喜とキリスト教に衝撃をもたらした。
下はエデッサ陥落
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント