帝国の時代4-クリミア戦争勃発

ルイ・ナポレオンは、カトリック信者のために、ベツレヘム生誕教会などのエルサレムのキリスト教会の管理権を要求した。しかしこれは、フランス革命以降ギリシャ正教徒が持っていた。そしてその後ろ盾のロシアが反発する。十字軍の昔ではあるまいし、未だに聖地管理権とは。

1848年革命鎮圧でハンガリー侵攻したロシアのニコライ1世は調子に乗っていた。またバルカン半島ではオスマンからの独立の動きが再燃し、モンテネグロで紛争が起きる。ロシアは汎スラヴ主義をかかげてこれに介入し、英仏はロシアの南下を警戒してオスマンを支援する。

オスマントルコを「欧州の病人」と呼んだのはニコライ1世である、実は彼はオーストリアも病人と言っていたのだが。ともかく露皇帝はオスマンを解体させるもくろみを持っていた。フランスは長年の交友でオスマンの最大の債権国になっていた、どちらも引かない。

ニコライは、黒海艦隊に戦争準備をさせ、国境線に陸軍を移動させた。英仏もそれに対抗して、ダーダネルス海峡付近に軍艦を派遣した。そういう状況で、今度はオスマン内での愛国主義が高まり、近代化されていたエジプト海軍が金角湾にやってくる。1853年、オスマンとロシアは国交を断絶してクリミア戦争が始まる。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。