近代アジアの動乱7-黒船来航

1853年7月8日、ついに日本に黒船がやってくる。艦隊隊長マシュー・ペリーは、東海岸から出発してアフリカ周りでやってきた。出発にあたり、彼は日本に蒸気船の威容を見せるため4隻が必要と言った。そして「恐怖を与えるほうが友好よりも効果がある」と述べている。

遠回りしたのは、実は太平洋を渡るほどの石炭を積み込めなかったからだ。が、ともかく4隻の威容は、日本を驚かすには十分な効果があった。戦略の通り、ペリーは、交渉役の浦賀奉行に対して、上位の者を連れてこなければ兵を連れて上陸して将軍に渡すと脅しをかけた。

浦賀奉行に大統領親書を渡したペリーは、回答を1年後にして、さらに北上して、江戸が見える所まで移動、そして数十発の空砲を発射して江戸を大混乱に陥れた。西洋の軍事力を民衆に見せつけるには大成功だった。まさに「太平の眠りを覚ます上喜撰」である。

ところでペリーは、琉球占領も辞さずとの許可をもらい、琉球王国にも上陸して、親書を渡している。当時は王国は清と薩摩の属国だったが、名目的には独立していた。ペリーに占領するほどの力はなく、列強も黙っていなかっただろうが、ともかく占領されなかったのはラッキーといえる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。