第1回十字軍18-アンティオキア公敗死す

アンティオキア公国では留守居役のタンクレードが張り切って領土を広げていた。約束の3年が経つとめでたく領主。しかし残念ながら、その3年目の1103年に捕らわれの身であったボエモンが帰ってきた。一説によれば、ハーレムの女性とねんごろになってアミールに謁見させたという話もある。

タンクレードは退職金もなく、「ごくろうさん」と解任。元のガリラヤはとっくにエルサレムのボードワンのものになっていた。しかしこの若武者は、反乱など考えずにそのまま叔父のボエモンの下につく。そして正直者に神は報いたもうた。

ボエモンはエデッサのボードワン(エルサレム王のいとこ)と1104年に復帰戦をするが大敗し、ボードワン@いとこが、捕虜になり、タンクレードはまたエデッサの領主代理。さらにボエモンが、フランスに凱旋することになり、アンティオキアの摂政にもなった。

フランスに帰ったボエモンはモテモテで、50歳近くになりフランス王女と結婚、ついでにタンクレードにも嫁を世話した。だがボエモンは調子に乗りすぎて、集めた兵でビザンチンを攻撃して敗北。1111年にアンティオキアに帰れず亡くなり、アンティオキアは実質タンクレードのものとなった。エデッサは返還するものの、彼はアンティオキアを十字軍随一の強国とする。

下はボエモンの出陣

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。