さてアンティオキア公にも、エルサレム王にもなれず、十字軍援軍も失敗した可哀そうなトゥールーズ公レイモン4世はどうしただろうか(彼の場合はかなり自業自得のような気もするが)?やっぱまだがんばるのである。ビザンチンの援助で、現レバノンの港湾都市トリポリを攻める。
エルサレムのボードワンも付き合うことにした。海岸線を支配すると、イタリアからの船を着けることができる。それにまあ、放っておくとあとがややこしそうだし。誰でもそう思う。それに彼は意外と面倒見のいい男なのだ、利益になることだけだが。ともかく1104年レイモンはラタキアへ、ボードワンはアッコへ。
レイモンは危害を加えないという約束を破り、ラタキアを占領。そこに堅固な城塞をつくって攻め続けた。そろそろ団結し始めたイスラムも援軍に来て、ボエモンが大敗したため、十字軍側は援軍が来ず、イブン・アマールに城塞を破壊されてしまう。そして結局1105年トリポリ周辺だけ手に入れて亡くなるのである。まあ息子が1109年にトリポリを奪うわけだが。
ボードワンのほうはやはり聡いというか、トリポリのほうにイスラムを引きつけさせて、アッコを十重二十重に封鎖し、降伏を許さず、短期間で制圧してしまった。戦さ上手とはこういうことを言うのだろう。
下は故郷を出発するレーモン4世なんとか錦は飾れた?
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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