1844年、キルケゴールは「不安の概念」を上梓した。人は不安である、という、それは自分ですべて決めなければならないからだ。中世なら職業が固定されて、神のもとにあった。しかし近代、人は自由になった代わりに、自分の人生は自分で決めなくてはならない。
哲学者は、この不安を「根源的な自由が体験するめまい」と定義する。19世紀には精神治療もすすんでいるので、中間層の中でストレスを感じる人も出てきたのだろう。啓蒙主義は自由を求めたが、自由になると何でもありになり、人は最終的には自分でチョイスしなければならない。
そして1849年に上梓したのが「死に至る病」である。それは絶望だという。もっとも哲学者のいう絶望とは普通の意味ではない。我々が自分の人生に何か物足りなさを感じて、酒を飲んだり、映画を見たり、果てには仕事に打ち込んだりするのも絶望だというのだから。
根源的なもの=神と離れてた人生は空しい。その言い方はカルトがよく使うが、近代以前の欧州では、神のもとにあるのが当たり前で、そんなこと考えもしなかった。キルケゴールは、近代から現代人のかかえる不安定さや孤独感を指摘して実存主義の一方の元祖となった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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