48年革命16-ルイ・ナポレオンのクーデター

パリ軍事総督を解任したことで、議会は丸裸になった。憲法では大統領は1期4年のみで再選はなしとなっている。ここでルイ・ナポレオンは憲法改定を議会に提案する。議員となっていた歴史家のトクヴィルなどはこれに賛成していた。しかしこの提案は議会で否決された。

ルイはさらに慎重に、野心家のド・サン=タルノーを陸軍大臣に、腹心のマニャンをパリ軍事総督にした。そして異父兄弟のド・モルニー伯爵を内務大臣にした。そして警視総監を替え、資金は金融業者を財務大臣にして借り、さらにこれまでの愛人達が工面したという。

1851年12月2日早朝、準備に準備したクーデターが決行された。なんとその宣言文には「共和国を守るために決起した」と書かれてある。クーデターは、秩序党の議員やカヴェニャック将軍らを次々に逮捕していった。しかし労働者らは「六月の虐殺者が裁かれたいい気味だ」と思ったのだ。この日は完璧に成功した。

翌12月3日、共和主義者のボダン議員らがバリケードをつくり始めた。この日の蜂起は鎮圧されたが、翌日はさらにバリケードが作られる。モルニー大臣は、反乱者の一網打尽を策図し、ここで軍隊を動員した。バリケードは武装解除され、終わったかに見えたが、一発の銃声が響いてパニックになって数百人の死人が出た。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。