フランスでは、ルイ・ナポレオンのローマ進攻に反対して8000人の集会が行われた。が、ルイはこれを軍隊で鎮圧してしまう。実は大統領選挙に続いて行われた議会選挙で、穏健共和派が大敗し、右派の秩序党が大勝、左派の山岳党も議席を伸ばしていた。ルイは、左派を追い詰めずに、左右の調停者となる。
教皇の戻ったローマに対し、ナポレオン法典の施行と自由な政府を要求する手紙を送り、秩序党を驚かせて対立を高める。すると彼は内閣を解散させ、自分が首相を兼ねて事務官僚を集めた内閣を組閣した。彼は1850年の鉄道除幕式で「私の友は宮廷の中にはおらずあばら家や畑に居る」と述べた。
しかし秩序党の議会は、選挙法を変えて、選挙権の条件に3年以上同一住居に居住することを加えた。これで季節労働者など300万人が選挙法を奪われた。ルイはこれに反対する提案をして、普通選挙法の擁護者というイメージを身に着け、後のクーデターの口実にした。
彼は、俸給を上げてもらい、その金で退役軍人らを自分のシンパとして組織した。議会が終わると、大統領の地方遊説に帯同し、ナポレオン人気をもりあげた。さらに閲兵式を頻繁に行って、軍人にも大盤振る舞いをして人気をあげる。そして51年1月パリの軍事総督を解任、クーデターの準備は着々とすすんでいた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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