1848年2月23日、国王ルイ・フィリップは、これまでのように首相解任でやりすごそうと、ギゾーを解任した。ギゾーは後任にモレ伯爵を推薦したが、民衆は収まらずデモを続けた。24日にはもう民衆も武器を持ち、軍と衝突した。しかし国民衛兵はフランス革命のように民衆側に寝返る者も多い。
次に呼び出されたのは、元首相のティエールである。ティエールはパリを脱出して、地方から反転攻勢を提案したが、失敗したらルイ16世のように処刑することを恐れ、行き詰ったルイは退位することを選んだ。そして孫のパリ伯フィリップに譲位することを宣言した。
民衆の側でイニシアチブをとったのは、改革宴会を主導していたロマン派詩人のラマルティーヌである。彼は「ジロンド派の歴史」を書いた穏健な自由主義者で、共和制を提唱した。そこでルイ・フィリップは引き下がり、イギリスに亡命する道を選んだ。24日ラマルティーヌが主導して臨時革命政府ができた。
臨時政府は共和制を宣言した。が、政府は右派から社会主義者の左派までの寄り合い所帯となった。とりあえず首班は、フランス革命からの政治経験の長いデュポン・ド・ルールが選ばれ、赤旗を国旗にすることを阻止して三色旗を国旗にした。一方ルイ・ブランを閣僚にする。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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