1846年6月16日、教皇ピウス9世が誕生し、イタリア民衆は進歩派教皇の誕生と大いに喜んだ。彼はそれにふさわしく、7月に数百名の政治犯を釈放し、鉄道敷設やガス灯点火の委員会を設立した。イタリア統一にも理解を示し、オーストリアに立ち向かう教皇を、民衆は支持した。
その直後の9月19日、フランス南部の山岳地帯ラ・サレットで2人の牛飼いの子供の前に聖母が出現したとの噂がかけめぐった。その後この地方に奇跡的治癒があり、グルノーブル司教は調査の結果、これを聖母の出現と承認した。聖母は、現在の不信仰の広がりを嘆いて泣いていたというのだ。
ピウス9世は、カトリーヌ・ラブレーの前に出現したという聖母を信じており、11月9日に回勅を発表し、近代の不信仰を否定し、カトリックの慣習や教皇の無謬性を主張した。教皇は穏健な自由主義路線である。進歩派の弾圧は、かえって過激な革命路線を高めると批判的だった。
教皇はしかし議会設立を約束したり、47年にオーストリア軍がフェラーラを占領したとき、それに対抗する市民軍の創立を許可し、メッテルニヒ破門もほのめかす。またトスカーナやサルディーニャ王国と関税同盟を結び、将来のイタリア連邦を構想した。しかしこれに勢いづいた民衆は教皇の心配する方向に走り出す。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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