近代アジアの動乱5-第1次アフガン侵攻失敗

1838年イギリスがアフガニスタンに侵攻し、第一次アフガン戦争が始まった。アフガニスタンは、16世紀にムガール帝国を造ったが、その後は戦乱の場となり、1835年ようやく今日の国の基となるアフガニスタン首長国ができた。しかしインドを支配するイギリスはロシアの南下を警戒した。

アミールのドースト・ムハンマドがロシア寄りだと警戒したイギリスは、前の支配者シュジャー・シャーを擁立し、北インドのシク国から大部分の兵を出してもらって侵攻した。2万の軍はさしたる抵抗もなく、39年8月6日カブールを制圧し、ドースト・ムハンマドは亡命した。

しかし41年にはカブールで騒乱が発生し、公邸が襲われ駐在官が殺害された。カブールにはシク国軍も帰ってしまい、軍はまるで手薄だった。そして今度は前首長ドースト・ムハンマドの息子アクバル・ハーンがトルキスタンから進軍してきた。イギリスの公使も殺害されて、安全な撤退を保証してもらうしかなくなる。

42年1月6日、イギリスとインド駐留軍とその家族16500人がインドに向かって出発した。しかしカブール外の各部族にとっては約束など知ったことではなく、襲撃が起こり、インド人の従者達は荷物を残して逃げた。寒さと襲撃で、結局この一行で帰った者はわずか1人しかなく、英国史上最悪の撤退と呼ばれる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。