ショパンの有名な曲はタイトルがついている、最も有名なのは「革命」だろう。標題音楽はヴェルリオーズから始まり、シューマンやリストも取り入れた。ブルジョワや民衆が音楽に参加する時代にわかりやすいタイトルは重要だった。ところがショパンは自分でつけたタイトルは実は一つもない。
ショパンの曲のタイトルは、それこそ大衆ウケを狙った出版社などが作ったのだ。本人はバッハを尊敬し、「音によって思想を表現」することを考えて、音のみで作曲家の想いは伝わると思っていた。今生き返ったら、巷にあふれるショパンのタイトルを引きちぎるのは確実である。
リストは表現を求めて管弦楽を作曲し、自ら楽団長になった。しかし内省的なショパンは、自分一人でできるピアノという世界にこだわり、華麗な装飾音は、イタリアオペラのベル・カント唱法を取り入れている。あの壮麗なオペラをもピアノで表現しようとしていたのだ。
どこの国もショパンが好きではないが、日本人はとりわけショパン好きだという。俳句や短歌を好む情緒性や即興性が日本人の感性と合うのだろう。日本人は論理ではなく感性で文化をつくってきた。もしかするとタイトルなしでも日本人はショパンをわかるかもしれないしそうではないかもしれない。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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