1838年からショパンとサンドは恋人となり、11月からマジョルカ島にヴァカンスに出かけた。この旅行はショパンの健康の改善のためでもあったが、その冬は大荒れで、おまけに荒れ果てたもと修道院しか借りることができなかった。この心細い思い出は有名な「雨だれ」に残っていると言われるが、ショパンが名付けたわけではない。
普通音楽家は、人前で演奏したいものだが、内向的なショパンはじっくり作曲に取り組めるのは喜んだという。この時期は最も創造的な時期で、雨だれを含む「24の前奏曲」を創る。彼は、バッハの平均律クラヴィアのようなピアノのあらゆる表現に取り組んだのだ。
パリに復帰したショパンは1年に1回程度演奏会を開く。これはパリのピアノメーカー「プレイエル」の後援だった。プレイエルはショパンにピアノを提供し、サル・プレイエルというホールをつくって自社ピアノを宣伝した。
ショパンは、近代的自我ができる時代に、ピアノという万能楽器委を使い、自分の内面を表現する音楽をつくった。また彼はマズルカやポロネーズで、自分の心の中に生きる祖国を表現した。革命のさなか48年に39歳の短い生涯を閉じたが、ポーランドは独立後、ショパンを祖国の誇りとして、コンクールをつくる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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