ウィーン体制32リヴィングストンのアフリカ探検

1840年「アフリカ探検の父」と言われるディヴィッド・リヴィングストンが南アフリカに向かった。彼は宣教師で、最初は中国宣教を希望したが、アフリカへ行くことにした。彼がケープタウンから内陸部に向かったのは、アフリカ人の中で暮らしてその宣教拠点をつくるためである。

しかし宣教は困難で、その度に場所を変えることで探検になっていった。そしてアフリカでの奴隷狩りを見るにつけ、他の商品の交易ルートを見つければ奴隷はなくなると考えたのである。イギリスは奴隷貿易を禁止していたが、奴隷はアメリカに向かってどんどん送りこまれていた。

1855年、彼は巨大な滝を発見し、これを女王の名にちなんで「ヴィクトリア」と名付けた。イギリス人を少しでもこの地に関心をもってもらうためである。村人は最初は奴隷商人と思ったが、アフリカ人を差別しない彼の姿は親しまれ「ムナリ(トウモロコシ)」と呼ばれたという。

1856年に帰国した彼は探検家の英雄として讃えられたが、本人は「もっと大きなことが目的だ」と言った。だがロンドン宣教会からは除名された。彼はナイルの水源をたどるため第三次探検に出発するが、そこで亡くなった。彼の探検によってアフリカの奥地が知られ、さらに奴隷狩りが行われたのは皮肉としかいいようがない。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。