近代アジアの動乱2-中国の植民地化

「アルジェの女」で述べたように、この頃から東洋オリエントは停滞、怠惰というレッテルが貼られていた。実際中国と貿易する商人やプロテスタント宣教師からそういうレポが伝えられていた。ここでも宣教師は、キリスト教化しなければならないと言っていた。東洋と西洋の差が開くのは産業革命以降である。

遂に勃発した阿片戦争、英国艦隊は兵力が集中した広州ではなく北へ行き、舟山列島を攻略して天津に入る。これにビビった道光帝は、林則徐を左遷して、講和を求めた。1841年1月20日に川鼻条約が結ばれたが、その内容に強硬派が反対し、皇帝も締結を拒否して戦争が再開した。

英軍は今度は南の揚子江を遡って砲撃する。虎門の戦いでは、広東水師提督関天培が戦死、イギリス軍が拠点を制覇していく。42年には増援を受けた英軍が躍進を続け、7月に鎮江を占領。ここで京杭大運河を英軍が支配することになり、北京の補給が断たれることになった。

英軍は鎮江で住民を虐殺し、さらに暴れまわり、清国は南京条約を結び、今に至る香港を割譲し、5港を開いて自由貿易を行うことになった。そして関税自主権を失い、イギリス人の裁判権もなくなる。この不平等条約は、その後の列強のアジア政策のモデルとなった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。