ウィーン体制29-ヴィクトリア女王即位

1837年6月20日、英国繁栄の象徴となるヴィクトリア女王が即位した。しかし出生時には継承順位は5位、ほとんど可能性はなく、疎まれて育ったが、母はしっかりとした教育をしたとのことである。この頃のハノーファー家は、ジョージ3世の子息が庶子をこさえ、放蕩しているので人気は落ちていた。

即位時の女王は18歳の未婚処女王であり、ひさびさに国民は期待した。最初の枢密院会議では、ウェリントン侯爵は「「彼女はその肉体で自らの椅子を満たし、その精神で部屋全体を満たしていた」という堂々たる態度や優雅な物腰を示したという。ドイツのハノーファーは女性君主を認めず、ドイツと同君連合は解消された。

しかし、1836年恐慌から再び普通選挙を求めるチャーティスト運動が活発化していた。女王の戴冠式が行われた38年には、普通選挙の要領を定めた「人民憲章」が採択され、国民誓願という普通選挙を求める署名が集められた。

この国民誓願は、庶民院で否決され、首相メルバーン子爵は、チャーティスト達を逮捕した。女王はメルバーン子爵を気に入って、二人は毎日6時間も会っていたという。しかし39年5月にメルバーン子爵は求心力が弱まって首相を辞任、女王は泣き崩れたという。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。