ロマン派の時代15-亡命者ショパン

ショパンは初演には成功したものの、あまり金は入らず、1832年5月にピアノ協奏曲第1番をオーケストラと共に演奏したが、ピアノの音が小さいと不評をとってしまった。そこへ現れた救いの神はなんとあのロスチャイルド夫人である。彼女が弟子入りしたという評判は瞬く間にパリをめぐった。

ショパンは貴婦人のレッスンで稼ぐようになり、小さなサロンで演奏して評判をとった。演奏会で金を稼ぎ、弟子からは金を取らなかったリストとは正反対である。パリにはポーランド亡命者が大勢いて、ショパンは彼らの前でも故郷の音楽マズルカを演奏した。

そして1834年、ロシア皇帝は、フランス在住のポーランド人にロシア大使館に出頭するよう命令、しかしショパンは行かず、ここでショパンは亡命者となった。翌年彼はドレスデンでポーランド娘に求婚するが、両親の反対で破談になる。ドレスデンを去るとき作ったのがワルツ変イ長調通称別れのワルツ、これが本当の故郷との別れかもしれない。

リストは故郷ハンガリーを愛し、38年のドナウ川氾濫ではチャリティーコンサートを催して多額の募金を行った。女性にモテモテで多くの女性と浮名を流したが、その実結構ピュアで、ダグー伯爵夫人と恋に落ち、35年にスイスに駆け落ちしてしまう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。