いよいよ「カノッサの屈辱」本番であるが、ここで問題となるのは聖職叙任権である。なぜそれが重大な問題なのかはピンとこないが、現代でも大きな問題である。例えば中国はローマカトリックを承認していないが、その重要な部分は、聖職者が政府でなくローマ教皇の命令に従うからである。
もちろん信徒もそうで、カトリックだったケネディ大統領は、「教皇の命令に従うか議会に従うか」と質問されたほどである。16世紀の宗教改革も、これが重大な問題となっている。そしてこの当時は、オットー大帝によって、神聖ローマ帝国聖職者は皇帝が任命し、教皇も皇帝の推薦が必要とされた。
しかし、政治権力が教皇に介入して問題が起こり、聖権は俗権から独立すべし、という運動がクリュニーから起こったのだ。確かに後の時代、フランス王がヴァチカンをアヴィニョンに移転させた「教皇庁バビロン捕囚」から、教皇が王の意のままになり、信頼を失墜させたといえる。
かといって聖権が優位の時代でも、十字軍などの問題は起きた。今日では、教皇は政治権力はないが、各国リーダーと会談し、人権や平和問題、宗教融和などの問題でイニシアティブを発揮している。内戦や独裁政権の中で政権から独立している教会は保護所となる場合もある。教皇も途中退位ができる。歴史を経た知恵が実ったともいえる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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