1831年9月からショパンはパリで暮らし始めた。当時はポーランドからパリに亡命した者も多数居て、パリはボヘミアンのたまり場となっていた。翌32年2月に開いた演奏会では好評を得て、その前にもシューマンは「諸君、脱帽したまえ、天才だ」と書いていた。
ショパンは、ドラクロワなどの芸術家と親交を結び、ドラクロワはショパンの肖像を描いている。当時は演奏会のバブル期だった。勃興したブルジョワは、啓蒙期のようなサロンを作ったが、不穏な哲学や文学は、煙たがられ、喋らずに済む音楽会が勃興したのだった。
そしてショパン以前にその花形となっていたのが、彼より一つ年下のフランツ・リストである。彼も幼少から天才の誉高く、ピアノのパガニーニを目指すと言って、華やかな超絶技巧のピアノを弾いた。「リストの指は6本ある」と言われたくらいである、事実手も大きかった。
さらに、超イケメンであり、ハンガリー出身というミステリアスな出自で情熱的なピアノを弾く。新興上流マダムは、彼の演奏会に押し寄せて失神者も出るほどだった。飲み残した紅茶を香水瓶に入れて持ち歩いたという逸話もある。パリは新しいバブルに酔い、ヴィルトゥーゾ(達人)の時代だった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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