ウィーン体制16-ベルギー革命

フランス7月革命はあっという間にブリュッセルに波及した。1830年8月25日、17世紀ナポリのスペイン総督への反乱をテーマにしたオペラ「ポルディチのもの言わぬ娘」、特に「聖なる祖国愛」の二重唱にインスパイアされた観客は、劇場を飛び出し、政府の建物を占拠していった。

オランダ王ウィレム1世は、フレデリック王子に鎮圧軍を差し向けさせるが、9月23日から26日の「血の市街戦」でブリュッセル制圧に失敗し、26日には臨時政府が設立され、10月4日に独立宣言が発せられ、11月には国民会議が開催される。ものすごいスピードである。

ウィーン体制諸国といえば、11月に開催されたロンドン会議で、独立反対の国はロシアとプロイセンのみだった。イギリス、フランスの支持はもちろんだが、オーストリアのメッテルニヒも、ベルギー独立を支持したのである。12月20日にイギリス主導で議定書ができ、ベルギーの独立が承認された。

31年2月憲法が起草され、7月、イギリスの強い押しで、ザクセン公3男のレオポルド1世がベルギー王に即位した。ウィレム1世は、8月「十日間戦争」でベルギーに侵攻し、軍を打ち破ったが、フランス軍がベルギー支援に乗り出し、撤退せざるを得なくなる。しかしウィレム1世はまだ独立を認めなかった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。